不純な日記

歩いていた。天神橋筋商店街、扇町付近だった。それから桜ノ宮に向かう一本道を辿った。源八橋まで至る。タクシーで生野区の小路まで帰った。森小路、豊中の少路と間違えやすい地名なので生野区を強調する必要がある。

翌日の土曜は、昼すぎ一度は家を出たが、布施から新深江、布施と一回りした後、パン屋の金太郎に立ち寄った。メロンパンとホイップクリームを包んだもの、可愛らしいレーズンブレッドを買い、さらにローソンでヨーグルトと大人仕立ほろ苦カフェオレを追加した。家に戻りしばらくテレビを見てまた寝た。

その後、真夜中前に会社に出勤した。午前六時過ぎに事務所を出た。まだ夜明け前だった。ここは大阪で一番の都心だが、人の顔もわからない位暗かった。再び源八橋まで歩き、さらに大川を越え、京橋近く迄至った。巨大な航空機が、明らかに低い高度で北上していた。金属的な閃光に満ちた朝になっていた。眠気と寒さで非常に寂しい思いがした。京橋までで歩くのを諦め、電車に乗って布施まで帰った。再びパン屋の金太郎に立ち寄った。メロンパンとバター入の円柱形のパンを買った。日曜の午前八時すぎだった。

それから目覚めたのは午後四時頃、次第に暮れて行く時間だった。五時前に家を出て、地下鉄の駅に至る頃には、日没寸前だった。六時前に肥後橋。事務所に入りサーバーを確認。ところどころトラブルがあった。一時間程度で処置完了し、大河ドラマを見て事務所を出た。福島方面へ向い、中華料理屋で定食を食べた。

あてもなく北へ歩いた。たまたま前に停まったバスに乗り、終点の淡路三丁目で降りた。付近には駅がなく大きな古い団地の間を歩いて巣禅寺駅まで歩いた。同和地区といわれる地域である。静かで寂しいところなのだろう。

阪急に乗り、次の淡路で降りた。天下茶屋行を待つ間、背中が痛む。恐らく時々ある心臓の不調らしかった。寒さのせいに違いない。嫌なものである。その朝京橋付近で美しい朝日と底のない青い無限の前で、死すら無意味に感じたが、錯覚に過ぎないと考える。普遍の現象に過ぎぬ青空や雲の形態を眺めて感動するくらいなら。